漢方1年生。煎じてみました。
漢方を飲み始めて2週間。
処方された分がなくなったので、再び和漢診療内科へ。
今回はエキス(顆粒)ではなく、煎じ薬を処方してもらうことに。
↑はじめて漢方処方してもらったとき。
煎じ薬お医者さんが「人参は大目に」とか、患者さんに合わせてレシピを作ってくれる。
煎じるの毎朝けっこうたいへんだよ~、とお医者さんに言われながらも、
・煎じ薬も3割負担(健康保険)
・自分専用レシピで顆粒よりよく効く
と聞けば、やってみたくなった。
しかも今朝のように急激に寒くなった朝は、絶好の煎じ日和かもしれない。
強火でかけて、沸騰したら弱火で30分(でも対流する強さは保って)。
なーんだ簡単じゃん、と調子にのった30分後。
100mlもないくらいに煮詰まってしまった...。1日3回分なのに。
「対流する強さ」に重きを置きすぎてしまった。
しょうがない、今日はこれにお湯を足して飲むとするか。
コーヒーに例えると
・エキス(顆粒)=インスタントコーヒー
・煎じ薬=ドリップコーヒー
だそうで、たしかにグツグツ煮ていると、いろんな生薬の香りがふわわーんと部屋中に広がる。
これが良い匂いなのかどうなのは何ともいえないが、
「お母さんは魔女だよ」
と今朝は何度言ったことか。ひっひっひっ。
アーヤと魔女みたいな。はたまた、ハリーポッターの薬草学の授業。
一連の作業はものすごく大変なことではないのだけれど、
朝のアレコレにプラスひと手間。これ毎日続けられるのかしら、とは思う。
が、3週間分も処方してもらったので、とりあえず3週間がんばってみようっと。
抗がん剤とはげ頭
抗がん剤の投与が始まって2週間後。
「必ず抜けます」と言われても髪が抜ける気配がなく、
「もしや、抜けないのかも(*^^)v」なんて淡い希望を抱いた次の日から、ざわーっと抜け始める。
抜けに抜け続けた約1週間の間、一番強く思ったことは、
「髪の毛ってこんなにたくさんあるんだ・・・」。
お風呂に入るたびに、束どころか塊のように抜ける。
そして、一日中パラパラパラ止まることなく抜ける。
抜けた毛の片づけが大変だし、見た目も日を追ってどんどん悲しくなってくるから、
どうせなら一気に抜けてくれたほうがどんなに楽か、と思う1週間。
よくドラマや映画に出てくるように、抜け始める前に丸坊主にしてしまおう。
けど、ちくちくの短さにすると、抜けた時に頭皮に刺さって刺激が強い(ただでさえ抗がん剤で皮膚は敏感になってる)とのことで、半分くらい抜けたところで(刺さらないくらいの)ショートカットに。
髪が抜けたわたしを、子どもたちは「おさるさん」とよんで、毎日頭をたくさん撫でてくれた。なんせ、さわり心地がとてもいいみたい。
ソファでテレビを見ながらなでなで。
ふとんの中でうとうとしながらなでなで。
子どもの小さくて、丸くて、あったかい手で撫でてもらうわたしの素頭(すあたま)はなんとも幸せ者。犬や猫になった気分だった(さるだけど)。
抗がん剤治療が終了してからは、CG428 ヘア&スカルプローション
植物性の低刺激で、髪だけではなく抗がん剤でボロボロになった爪の育成にも。
わたしが使い始めたのが髪が生え始める時だったので、「使わなかった場合」と比べることはできないけど、短期的な効果を狙うというより、新しい髪を育んでいく頭皮を長期的にいたわって、いい土壌を作っていく…という感じ。
レビューにあるように、治療中から使っていたらもっと効果的だったのかな。
前髪の毛量が気になりつつも最近さぼり気味なので、毎日つけよう。
『経営コンサルタントでワーキングマザーの私がガンにかかったら』を読みました
『経営コンサルタントでワーキングマザーの私がガンにかかったら
仕事と人生にプラスになる闘病記』
山添真喜子 著 東洋経済新報社
著者 山添 真喜子さんは、1974年東京生まれ。
シンクタンクのコンサルタントとして、そして2人の女の子の母として多忙な日々を送っていた中、
2018年急性リンパ性白血病で入院。
9ヶ月にわたる抗がん剤治療とその後の維持療法を経て病気を克服。
(巻末プロフィールより抜粋)
ビジネス戦略のように闘病期をロジカルにとらえる
視点が面白い本でした。
本の中に出てきた言葉
「アーリースモールサクセス」
左の脳にできた膿瘍が原因で、右手が麻痺した著者は、
「小さな目標=アーリースモールサクセス」を達成していくことで
リハビリのモチベーションを維持し継続していくことができたといいます。
右手でスプーンを使う→右手で眉を描く→お箸を使う→文字をボールペンでかけるようになる、など。
小さな目標を立ててひとつずつクリアしていく。
私の場合
抗がん剤の副作用がきつすぎる時期、
この副作用をあと3サイクル…とか考え出すと気が狂いそうだったので
「とりあえずこの1サイクルだけはがんばろう」
と毎回思っていたことを思い出しました。
髪がなくなる そのときの気持ち
抗がん剤により
いよいよ
髪が抜けていった頃
私は、なるべ悲しくならないように
「これは大型犬の毛の生え替わりの時期みたいなものだ」
と自分にナゾの言い聞かせをして、
せっせと抜けた毛の始末をしていました。
落ち込まないように
少しでも自分を保っておくために
感情にそっとフタをする。
きっとそれは
じぶんの心を守る
防御策だったんだと思います。
あんなにも
脱け続けゐし
髪たちは
悲しかつたらう
生きたまま脱けて
最近
この句に出逢い、
あー、ほんとはあの時悲しかったよねー。
たっぷりツヤツヤした髪が毎日抜けて(T ^ T)
あの時の気持ちと
はじめて向き合った気がしました。
手をのベて
あなたとあなたに
触れたきに
息が足りない
この世の息が
『蝉声』
河野 裕子 著 青磁社
いままで
短歌というものには
まったく興味がなく、
河野 裕子さんという
有名な歌人を
知りさえしませんでしたが、
胸をつかまれるような
短歌の数々に
出逢っているところです。
生きてゆく
とことんまでを
生き抜いて
それから先は
君に任せる
『たったこれだけの家族 河野裕子エッセイ・コレクション』
河野 裕子 著 中央公論社
こう言い残せるように
生きぬきたい。
誰かをねたむこころ
自分の体の調子が悪いとき
ほかの誰かをねたましく思う気持ちに、蜘蛛の糸のごとく絡みとられてしまいそうな時があります。
そして体調がよくなってしまえば、意外とそんな気持ちはあっさり忘れてしまったりもします。
がん治療をしているときにも、
わたしは
こんなに禿げてて
こんなに肌はごわごわで
痩せこけて
でもあのひとは、このひとは...
と輝いている人を見ては思っていたような気がします。
そんなの本当に嫌なんだけれども、ねたましさというのは
前に進みたい気持ちが、自分の中にあることの証し
↓
せっかくならそのねたましさを、前にすすむための推進力に変えたい。
あとできることは、からだを整えることだけ。
そう思うようになりました。
優しい
今日は6ヶ月ぶりの定期検査に行きました。
6ヶ月ぶりの大きな病院。
血液検査室で。
たくさん並んでいる血液採取のブースの前で立ちすくんでいるおばあちゃんに、「◯番ですよ」と教えてあげている、女の人。
病院の駐車場で。
後部座席のスライドドアが全開のまま、運転を始めたおじいちゃん。「ドア開いてますよ」「あ、しめてあげればいいんか」と閉めてあげた通りすがりのご夫婦。おじいちゃんも夫婦もうれしそう。
血液検査室も駐車場も、わたしも声をかけようと思った瞬間だったけど
瞬発力がないのかしら(゚∀゚)
先を越された。
でもそのおかげで、やさしい光景を目の前で見て
あったかい幸せな気持ちになりました。
ありがとう。